昨日、テレビ朝日系の音楽番組「題名のない音楽会」に、NHK「あまちゃん」の音楽担当で一躍有名になった大友良英さんがご出演になり、「大友良英を作った3曲」とうテーマで、大友さんご推薦の楽曲が紹介されました。詳しくはこちら
しかしながら、それらのどれもが「ノイズ・ミュージック」だったので、大友さんだけが大ハシャギで、司会の指揮者・佐渡裕さんや女性アナウンサーは、???(チンプンカンプン)であった様子がツイッタ―などで話題になったとか、、、
と、いうことで、二番煎じではありますが、私が影響された3曲について記したいともいます。
以前の投稿「心が折れそうになった時...」でも、落ち込んだ時に弾く曲として3曲挙げましたが、「3(三)」という数字は、良く用いられますね〜。
「ベートーヴェン三大ピアノソナタ」「ドイツ三大B」「世界三大テノール」などなど、、、
音楽界以外でも「三大美人」「仏の顔も3度まで」「三顧の礼」、、、
あ、余談でした。
話は元に戻って、では、私にとって「きっかけとなった3曲」って何だろう?と振りかえってみました。
まずは1曲目
バッハ作曲《半音階的幻想曲とフーガニ短調》
この曲は「心が折れそうになった時...」でも挙げています。
もともとバッハの作品は好きで、子どもの頃、周りのピアノを習っている子の多くが「嫌い」「面白くない」「難しい」などと言って「嫌々」弾いていたインヴェンションも楽しく(笑)弾いていましたが、この曲を聴いた時、「なんて深い曲のなどろう」と、さらにバッハが好きになりました。そして音楽ってなんて素晴らしいのだろう、もっと音楽のことが知りたい!と、生涯、音楽と付き合っていこう、と思ったものです。
その頃は、この曲を弾くテクニックはなく、ただ聴くのみでしたが、やがて自分でも弾けるようになると、楽譜に書かれた一音一音が、まるで天からの声のように心の奥深くまで響き渡ってくるのを感じました。私にとってこの曲は、バイブルといっても過言ではありません。
2曲目は、シェーンベルク作曲《浄められた夜 作品4》
この曲との出会いは、楽器店で偶然見つけた↓のCDです。
ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィルの演奏(1973年)です。
当時は、シェーンベルクもブーレーズも知らなくて、ただCDジャケットに使われていたクリムトの絵に惹かれて、思わず手に取り買ってしまったものです。「こんなところにクリムトが!」っていう興味だけでした。
そして、曲を聴いてビックリ!こんな世界もあるのかと、、、
今となっては「普通の曲」の部類に入りますが、当時は、ピアノのレッスンでドビュッシーの作品をさらってはいたものの、クラシックの音楽作品と言えば、ベートーヴェンやブラームスをはじめとする古典派やロマン派までしか馴染みのなかった私にとっては「新世界」でした(笑)
これ以後、シェーンベルクのその他の作品や、同じ新ウィーン学派のウェーべルンやベルクの作品、さらにはメシアン、ベリオ、ジョン・ケージ、シュトックハウゼン、クセナキス、バルトーク、リゲティ、、、と芋づる式に20世紀の作曲家たちの作品を聴くようになり、CDラックは次第に、いわゆる「現代音楽」に属するもので占拠されるようになっていったのでした。
3曲目は、ラヴェル作曲「クープランの墓」かな〜
作曲の勉強をしている時、上記であげた作曲家のような曲を創りたいと思う一方、「じゃあ、そのような曲を誰が聴いてくれるの?」と自問自答もしていました。そんな中、ラヴェルの「クープランの墓」と出会い、古典形式の組曲にラヴェル特有のエスプリを効かせているのを知り、よくある形式・様式でも何か一つ自分の主張なり、こだわりなりを取り入れることによって自分の作風になっていくのかな、と思うようになりました。
今でも発想に煮詰まった時は、この「クープランの墓」を弾いて、アタマの中をリセットしています。
しかしながら、それらのどれもが「ノイズ・ミュージック」だったので、大友さんだけが大ハシャギで、司会の指揮者・佐渡裕さんや女性アナウンサーは、???(チンプンカンプン)であった様子がツイッタ―などで話題になったとか、、、
と、いうことで、二番煎じではありますが、私が影響された3曲について記したいともいます。
以前の投稿「心が折れそうになった時...」でも、落ち込んだ時に弾く曲として3曲挙げましたが、「3(三)」という数字は、良く用いられますね〜。
「ベートーヴェン三大ピアノソナタ」「ドイツ三大B」「世界三大テノール」などなど、、、
音楽界以外でも「三大美人」「仏の顔も3度まで」「三顧の礼」、、、
あ、余談でした。
話は元に戻って、では、私にとって「きっかけとなった3曲」って何だろう?と振りかえってみました。
まずは1曲目
バッハ作曲《半音階的幻想曲とフーガニ短調》
この曲は「心が折れそうになった時...」でも挙げています。
もともとバッハの作品は好きで、子どもの頃、周りのピアノを習っている子の多くが「嫌い」「面白くない」「難しい」などと言って「嫌々」弾いていたインヴェンションも楽しく(笑)弾いていましたが、この曲を聴いた時、「なんて深い曲のなどろう」と、さらにバッハが好きになりました。そして音楽ってなんて素晴らしいのだろう、もっと音楽のことが知りたい!と、生涯、音楽と付き合っていこう、と思ったものです。
その頃は、この曲を弾くテクニックはなく、ただ聴くのみでしたが、やがて自分でも弾けるようになると、楽譜に書かれた一音一音が、まるで天からの声のように心の奥深くまで響き渡ってくるのを感じました。私にとってこの曲は、バイブルといっても過言ではありません。
2曲目は、シェーンベルク作曲《浄められた夜 作品4》
この曲との出会いは、楽器店で偶然見つけた↓のCDです。
ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィルの演奏(1973年)です。
当時は、シェーンベルクもブーレーズも知らなくて、ただCDジャケットに使われていたクリムトの絵に惹かれて、思わず手に取り買ってしまったものです。「こんなところにクリムトが!」っていう興味だけでした。
そして、曲を聴いてビックリ!こんな世界もあるのかと、、、
今となっては「普通の曲」の部類に入りますが、当時は、ピアノのレッスンでドビュッシーの作品をさらってはいたものの、クラシックの音楽作品と言えば、ベートーヴェンやブラームスをはじめとする古典派やロマン派までしか馴染みのなかった私にとっては「新世界」でした(笑)
これ以後、シェーンベルクのその他の作品や、同じ新ウィーン学派のウェーべルンやベルクの作品、さらにはメシアン、ベリオ、ジョン・ケージ、シュトックハウゼン、クセナキス、バルトーク、リゲティ、、、と芋づる式に20世紀の作曲家たちの作品を聴くようになり、CDラックは次第に、いわゆる「現代音楽」に属するもので占拠されるようになっていったのでした。
3曲目は、ラヴェル作曲「クープランの墓」かな〜
作曲の勉強をしている時、上記であげた作曲家のような曲を創りたいと思う一方、「じゃあ、そのような曲を誰が聴いてくれるの?」と自問自答もしていました。そんな中、ラヴェルの「クープランの墓」と出会い、古典形式の組曲にラヴェル特有のエスプリを効かせているのを知り、よくある形式・様式でも何か一つ自分の主張なり、こだわりなりを取り入れることによって自分の作風になっていくのかな、と思うようになりました。
今でも発想に煮詰まった時は、この「クープランの墓」を弾いて、アタマの中をリセットしています。
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